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氷室冴子 『ざ・ちぇんじ! 前編 新釈とりかへばや物語』
集英社コバルト文庫、1983年1月15日初版発行
氷室冴子強化特集第二弾は『ざ・ちぇんじ!』です。そういえばこの作品、私が小学生の時に初めて購入した氷室さんの本でした。何回も読み返しているせいか紙も黄ばんで傷んでます。
【あらすじ】
舞台は平安中期、主人公は権大納言家の14歳の姫君、綺羅。彼女には瓜二つで同い年の異母弟がいるのだが、姫君自身は勝気で活発的、対して弟の若君は女として育てられたためなよやかだった。父親は男らしい娘と女らしい息子を見て双方の性別を「とりかえたい!」と嘆く日々を送っており、事情をよく知らない周囲の人々は姉を若君だと勘違いし弟を姫君だと勘違いしている。ところが、ひょんなことから姉君は男として元服をし更に出仕までせざるを得なくなり、同時に弟君も女として裳着を行うことになるにつれ、二人は呑気に暮らしていられなくなってしまう…!?
あらすじでも明らかなように、『ざ・ちぇんじ!』は古典文学のとりかえばや物語を少女小説風に(ここ重要!)書いた作品です。単に現代語訳したのではなく、現代の若い女性に受け入れられやすくするためによりロマンティックに、ユーモアたっぷりなコメディ調に、また辻褄が合うように合理的というか現代的に展開が一部変更されているらしい。
私は原典のとりかへばや物語を読んだことがないので細かくどの部分が変更されているとは指摘できないのですが、原典自体、あの時代に異性装などのジェンダーの反転を描き出しているのはとても興味深いですしいつか読んでみたいです。
さて、この『ざ・ちぇんじ!』をよく表している一文をあげろと言われれば
えええええええなんて無謀な!と言いたくなる登場人物達の試みに、読者は一喜一憂ドキドキハラハラです。このハラハラ感が快い。成人した今読んでみても、人を惹き付ける勢いのある少女小説だと思います。
それにしても、そんな風に勘違いと誤解が蔓延っていても物語世界で不思議と世が回っていくのは面白いなぁ。まぁ、この作品ほど極端でないとしても、当人の内実とはズレた評価が一人歩きしていくことは現実の世界でもよくあることと言えるかもしれませんが。
次に作品の要とも言える異性装について。元ネタのとりかへばや物語ではどうなっているのか知らないのですが、『ざちぇんじ!』の場合異性装へのスタンスは姉と弟で結構異なっています。
まず弟君の方は生まれたときから女として育てられていて、女装はあくまでも「母に強制され」たものであり、「心の底では、いつか男に戻りたいと願ってい」ます。
14歳の彼にとって女装というのは紛れもない抑圧なんだろうなぁ。ただ、単に十二単を着るのが嫌だとか「姫」として扱われることが嫌だというよりも、男でありながら女装をしていることを他者に目撃されて嫌悪されることが嫌なのでは、という印象がある。他人の目をとても気にしていますし、自分が男であると知る前は「美しい着物を着て女房たちに姫、姫とかしずかれ、大切にされて、それが普通だと思ってい」たのですから。つまり、立派な男は女の装いはしないという規範とともに男としてのアイデンティティを得るにつれて、それまでは違和感を感じていなかった当たり前の装いが「異常」なのだと知り、それゆえに白い目で見られることを恐れている。
彼が女装することによって生じる抑圧を回避するためには、女装を止めて「正常」とされる男装をする道と、男が女装してても白い目で見られない世の中にする道があり、『ざ・ちぇんじ!』では原典を踏襲して前者の道を志向するストーリーとなっているようです。ちなみに最近クィアという言葉をよく目にしますが、クィアな新釈とりかへばや物語を描こうとするならば、後者の道を模索するお話として書かれたりするんだろうか。
弟君とは違って、姉君の方は「自分の好みと自由意志で男のなりをしている」天真爛漫な人。「女物の服を嫌がり、少年の服を着ている」のも自分の意志、自由を満喫する現状に満足しています。さらに遊び仲間の男友達が次々と元服して出仕しているのを羨ましく思い、自分も元服したい!と願っており、もし自分に妻がいたらという発想もナチュラルにしている。一方で、自分より強い男なら結婚を考えると言ってもいる。このキャラクターのセクシュアリティとか性自認って謎な気がするなぁ。「体は女の子だけど心は男の子です」と冗談めかして言っているけど、この台詞ほど単純じゃないのでは?と思う。
ところで原典も読んだ上で、ジェンダー論とかゲイスタディースとかクィア理論などにも造詣の深い人に『ざ・tyんじ!』を読解して教えてもらいたいなぁと今回しみじみ思いました。いや、そういう論文なり書籍なりはもうありそうだ。ぜひそういった観点から見る『ざ・ちぇんじ!』というものを読んでみたいので探してみよう。
さて、次は細かい部分への感想です。箇条書きします。
・北嵯峨の乙女を助けた男の正体は予想外でした。私は綺羅の元服のシーンで、てっきり男前のあの人かと思い込んでましたよ!こういう予想外の展開は読んでいてワクワクさせられます。
・帝は可愛げのあるキャラクターだなぁ。嫉妬深いし根暗だしちょっとヘタレっぽいところがいい。綺羅姫への夢見がちな妄想や、帝が綺羅への恋心のため綺羅をいびるシーンは笑えました。それと、自分の治世の宮廷に才気ある臣下や美しい妃がいないと言われてグサリときて、つい「私に徳がないからだろう」と嫌味を言う場面には、なんだか君主としての苦労が覗えて興味深かったです。
・「冗談はよしのすけ」やら女性キャラクターに頻出する「んまあ!」「んもう!」という台詞、「女の浅知恵」という言葉で女主人公の状況把握の稚拙さを表現している点などにはなんとなく古さを感じないでもない。まぁ実際のところ第一刷が1983年で私が生まれる前に発行された作品だしなぁ。ただ、それ以外の点であまり古さを感じなかった理由の一つとしては、やはり上質のエンターテイメントである上に、平安時代という一種のファンタジー世界を舞台にしていたからかなと思います。
・良い中年親父キャラが2人登場しています。それは綺羅の父とその弟の右大臣。綺羅の父は柔らかい関西弁(京都弁?)の台詞回しが好きでした。この人もヘタレが入ったキャラだと思う。右大臣は婿ゲット作戦への熱意が凄まじい!怖いよ!どちらも味のある愛すべきキャラクターだと思います。
・それからやっぱり最後に強調しておきたいのは主人公綺羅の魅力です。“明朗”という言葉がぴったりで、現実にいたら友達になりたいタイプの人です。
後編に続きます。
集英社コバルト文庫、1983年1月15日初版発行
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氷室冴子強化特集第二弾は『ざ・ちぇんじ!』です。そういえばこの作品、私が小学生の時に初めて購入した氷室さんの本でした。何回も読み返しているせいか紙も黄ばんで傷んでます。
【あらすじ】
舞台は平安中期、主人公は権大納言家の14歳の姫君、綺羅。彼女には瓜二つで同い年の異母弟がいるのだが、姫君自身は勝気で活発的、対して弟の若君は女として育てられたためなよやかだった。父親は男らしい娘と女らしい息子を見て双方の性別を「とりかえたい!」と嘆く日々を送っており、事情をよく知らない周囲の人々は姉を若君だと勘違いし弟を姫君だと勘違いしている。ところが、ひょんなことから姉君は男として元服をし更に出仕までせざるを得なくなり、同時に弟君も女として裳着を行うことになるにつれ、二人は呑気に暮らしていられなくなってしまう…!?
あらすじでも明らかなように、『ざ・ちぇんじ!』は古典文学のとりかえばや物語を少女小説風に(ここ重要!)書いた作品です。単に現代語訳したのではなく、現代の若い女性に受け入れられやすくするためによりロマンティックに、ユーモアたっぷりなコメディ調に、また辻褄が合うように合理的というか現代的に展開が一部変更されているらしい。
私は原典のとりかへばや物語を読んだことがないので細かくどの部分が変更されているとは指摘できないのですが、原典自体、あの時代に異性装などのジェンダーの反転を描き出しているのはとても興味深いですしいつか読んでみたいです。
さて、この『ざ・ちぇんじ!』をよく表している一文をあげろと言われれば
を私なら推すだろうなぁ。周囲が女だと思っている人物が男だったり、逆に男だと思っていた人物が女だったり、てっきり田舎貴族だと思っていた男が実は○○だったり、世を儚む奥ゆかしい女だと思っていた人物が実は〜だったり、と登場人物達の勘違いが幾重にも重なって物語は進んでいって、なんと18歳になると女性主人公が男性として女性と結婚したり、弟君が女性として後宮に出仕することになり……とまで事態は複雑化していくのですよね。世の中とは、つくづく誤解で成り立つものである。
えええええええなんて無謀な!と言いたくなる登場人物達の試みに、読者は一喜一憂ドキドキハラハラです。このハラハラ感が快い。成人した今読んでみても、人を惹き付ける勢いのある少女小説だと思います。
それにしても、そんな風に勘違いと誤解が蔓延っていても物語世界で不思議と世が回っていくのは面白いなぁ。まぁ、この作品ほど極端でないとしても、当人の内実とはズレた評価が一人歩きしていくことは現実の世界でもよくあることと言えるかもしれませんが。
次に作品の要とも言える異性装について。元ネタのとりかへばや物語ではどうなっているのか知らないのですが、『ざちぇんじ!』の場合異性装へのスタンスは姉と弟で結構異なっています。
まず弟君の方は生まれたときから女として育てられていて、女装はあくまでも「母に強制され」たものであり、「心の底では、いつか男に戻りたいと願ってい」ます。
世間のことも気になる年頃で、いい年をした男が女装をさせられ、姫と呼ばれることに耐えられず、今では父君が会いに来ても顔を合わせるのが辛く、几帳の陰にうずくまって、はい、とかええ、としか言わない。父君がそれを、どこまでも女っぽい子だと情けなく思っているのがひしひしと感じられて、いっそう身の置きどころがない。そんなことから、人と会うことに臆病になり、対人恐怖症にも陥っている。
〜いつ、この情けない女装姿を来客に垣間見られないとも限らないという恐怖で、気が遠くなり、がたがたと震えがきて、失神状態になってしまうのだ。
こういった描写からは、男が女の格好をしているのはみっともないという規範が彼の中で強く内面化されているのがわかります。同時にそのような規範に照らして自分の女装姿を自己嫌悪しているんですよね。挙句の果てに対人恐怖症とは、マジで気の毒。〜、母親一行が帰ってきたのかもしれないと思っただけで、[中略]胸が苦しくなって貧血を起こすようでは、男として、あまりに不甲斐ない、と若君は情けなく思っている。
14歳の彼にとって女装というのは紛れもない抑圧なんだろうなぁ。ただ、単に十二単を着るのが嫌だとか「姫」として扱われることが嫌だというよりも、男でありながら女装をしていることを他者に目撃されて嫌悪されることが嫌なのでは、という印象がある。他人の目をとても気にしていますし、自分が男であると知る前は「美しい着物を着て女房たちに姫、姫とかしずかれ、大切にされて、それが普通だと思ってい」たのですから。つまり、立派な男は女の装いはしないという規範とともに男としてのアイデンティティを得るにつれて、それまでは違和感を感じていなかった当たり前の装いが「異常」なのだと知り、それゆえに白い目で見られることを恐れている。
彼が女装することによって生じる抑圧を回避するためには、女装を止めて「正常」とされる男装をする道と、男が女装してても白い目で見られない世の中にする道があり、『ざ・ちぇんじ!』では原典を踏襲して前者の道を志向するストーリーとなっているようです。ちなみに最近クィアという言葉をよく目にしますが、クィアな新釈とりかへばや物語を描こうとするならば、後者の道を模索するお話として書かれたりするんだろうか。
弟君とは違って、姉君の方は「自分の好みと自由意志で男のなりをしている」天真爛漫な人。「女物の服を嫌がり、少年の服を着ている」のも自分の意志、自由を満喫する現状に満足しています。さらに遊び仲間の男友達が次々と元服して出仕しているのを羨ましく思い、自分も元服したい!と願っており、もし自分に妻がいたらという発想もナチュラルにしている。一方で、自分より強い男なら結婚を考えると言ってもいる。このキャラクターのセクシュアリティとか性自認って謎な気がするなぁ。「体は女の子だけど心は男の子です」と冗談めかして言っているけど、この台詞ほど単純じゃないのでは?と思う。
ところで原典も読んだ上で、ジェンダー論とかゲイスタディースとかクィア理論などにも造詣の深い人に『ざ・tyんじ!』を読解して教えてもらいたいなぁと今回しみじみ思いました。いや、そういう論文なり書籍なりはもうありそうだ。ぜひそういった観点から見る『ざ・ちぇんじ!』というものを読んでみたいので探してみよう。
さて、次は細かい部分への感想です。箇条書きします。
・北嵯峨の乙女を助けた男の正体は予想外でした。私は綺羅の元服のシーンで、てっきり男前のあの人かと思い込んでましたよ!こういう予想外の展開は読んでいてワクワクさせられます。
・帝は可愛げのあるキャラクターだなぁ。嫉妬深いし根暗だしちょっとヘタレっぽいところがいい。綺羅姫への夢見がちな妄想や、帝が綺羅への恋心のため綺羅をいびるシーンは笑えました。それと、自分の治世の宮廷に才気ある臣下や美しい妃がいないと言われてグサリときて、つい「私に徳がないからだろう」と嫌味を言う場面には、なんだか君主としての苦労が覗えて興味深かったです。
・「冗談はよしのすけ」やら女性キャラクターに頻出する「んまあ!」「んもう!」という台詞、「女の浅知恵」という言葉で女主人公の状況把握の稚拙さを表現している点などにはなんとなく古さを感じないでもない。まぁ実際のところ第一刷が1983年で私が生まれる前に発行された作品だしなぁ。ただ、それ以外の点であまり古さを感じなかった理由の一つとしては、やはり上質のエンターテイメントである上に、平安時代という一種のファンタジー世界を舞台にしていたからかなと思います。
・良い中年親父キャラが2人登場しています。それは綺羅の父とその弟の右大臣。綺羅の父は柔らかい関西弁(京都弁?)の台詞回しが好きでした。この人もヘタレが入ったキャラだと思う。右大臣は婿ゲット作戦への熱意が凄まじい!怖いよ!どちらも味のある愛すべきキャラクターだと思います。
・それからやっぱり最後に強調しておきたいのは主人公綺羅の魅力です。“明朗”という言葉がぴったりで、現実にいたら友達になりたいタイプの人です。
後編に続きます。
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