大阪書籍、朝日カルチャーブックス63、昭和61年
この本、すっごい面白かったです。もっと早く読めばよかったなぁ。著者の方の本、もっと読んでみよう。既に亡くなれているそうで残念なことに新刊はのぞめませんが、お弟子さんたちはたくさんいるようなので、そういった方々の本も読んでみたくなりました。
さて、本書を手に取った理由は、古事記や日本書紀を読んでいてもっと「古代歌謡」について知りたいと思ったからです。今まで、そもそも「古代歌謡」って何なんだ?と歌謡に対してあまりにイメージがピンと来なかったのと、どうも自分は古代歌謡というものを正しく理解していないのではという危惧があったので、この機会に勉強してみたくなったのでした。
で読んでみたら、どうやら自分は今まで初歩の歌謡と詩歌の違いさえ曖昧だったことを知りました。一口に「うた」と言っても、いろいろな種類があってそれぞれ性格が違うのですね。もうちょっと言葉の使い方を正確かつ厳密にしなくちゃいけなかったんだな。このブログでも間違った知識のまま言葉を垂れ流してしまっていたかも…。該当箇所は見つけ次第順次直していかなきゃなぁ。
以下、私が本書を読みながら取っていた歌の分類と重要なキーワードに関するメモです。
<うた>=内容の上から見た広義の抒情詩 は三つに分類できる
・民謡
歌謡(曲節をつけて歌唱される)
歌い手…民衆自身。
歌われる場…ムラという共同社会の協同作業。
歌の目的…協同作業の遂行、ムラの生活の維持。
特徴…作者という観念の欠如→集団的性格→「限界文芸」
例…労働歌など
・芸謡
歌謡(曲節をつけて歌唱される)
歌い手…<うた>を専門ないし職業とする芸人。
目的…聞き手の娯楽的欲求に答えること。
特徴…歌い手と聞き手の分化→「大衆芸術(文芸)」
・詩歌
抒情詩(狭義の意味で)
目的…作者の自己表現
特徴…創作歌。「純粋文芸」。文字で表現されることと関係が深い。
例…和歌、俳句、近代詩
「古代歌謡」とは
古事記、日本書紀、風土記に記載されている歌をひっくるめて呼ぶ便宜的な呼称。便宜的であるというのは、どの歌がどんな歌謡で、どの歌が詩歌なのかはっきりしないため。
なるほどなぁ。いろいろ勉強になるなぁ。物語歌とは
物語の中に挿入されていて、物語中の人物が自己表現として歌ったとされる歌。
・狭義の物語歌…物語の述作者によって創作された物語歌
・広義の物語歌…元来物語と関係の無い独立歌謡を転用した物語歌
あ、でもこの本って22年前に出版されたものなんですよね。この約二十年間で古代歌謡について学会でも研究が進んでいろんな新しい説が登場したでしょうから、そのあたりもうちょっと詳しく調べてみたいなぁ。
再読したら文章追加するかも。今日はとりあえずここまで。
・OP前の冒頭は艶っぽいシーンから始まるというのはこの作品のポリシーなんだろうか。前回もそうでしたし。せっかく深夜に放送されるから、という視聴者へのサービスなのか?
・第二話は光源氏と六条御息所がメインの回でした。葵の上もちらっと登場していて、この二人は源氏物語の中でも重要なエピソードを彩る女性達なので、彼女達の登場にはちょっとテンションが上がります。御息所は結構自分のイメージ通りだったかな。美人で年上で教養深くて矜持も高い高貴な女性という感じは良く出てましたね。
・でも御息所は結構早くぶっ壊れてましたね。もうちょっとプライドの高い女がじわじわと源氏への嫉妬に蝕まれていく様を見たかったとも思いますが、まぁ時間の関係上展開が速くなってしまうのはしょうがないのでしょうが。
・御息所が「もっとお湯をかけて!」と狂的に言い募る場面といい、その後の湯船の中に頭まで沈んでいく毒々しい場面といい、御息所と結ばれる際源氏が二人を隔てる御簾をバサァァァァッ!!と跳ね上げる場面といい、濃い演出が多かったなという印象を持ちました。なるほどこれが出崎監督の演出ってやつなのかー。前評判の通り確かに濃厚ですね。源氏物語でこうくるか!的な新鮮さを覚えました。何気に面白いかも。インパクトがあるよね。
・デジタル処理のせいか女性の装束の色彩にはなんか目がチカチカするな…。いやにけばけばしく衣がテカっているように見える。御息所の装束から蝶がぶわっと飛び立つあたりは綺麗だし、くどい色彩でアダルティな感覚を示したいんだろうけれども、もっと抑えた色調で重ねの美しさが見たいな。
・前回よりこの2話の方が面白かったと思います。
・雨とか桜とか雪とか動きのある情景描写がいいですね。桜の咲き誇る都の絵は綺麗だった。あと、光の描写も頑張ってるなと思う。室内から見ると御簾の向こうの廂(簀子だったかも…)が光に溢れているのとか。この成人した源氏が藤壺に「御簾の中に入れてください」と懇願するシーンは、「おお〜映像化するとこうなるのか!」となんだか感慨深かったです。実は源氏物語にはかの有名な「あさきゆめみし」さえ見たこともなく、常に文章という形態でしか触れたことが無かったので…。
・キャラクターデザインは、あんまり萌え系の絵柄でなかったので見やすいといえば見やすい、と個人的には思います。子供源氏とかちゃんと美少年に見えるし。ただ少し古めな独特の絵柄だなぁという印象もあります。大人源氏や頭の中将などの成人男子の眼が、切れ長の特徴のある描き方だったり、大人になった源氏の髪型がサイドの垂れ髪が長いのとか。後者についてはやっぱり風に靡く髪は、そのキャラクターの美を視覚的に表現するにはうってつけのアイテムなんだろうなとは思うのですが。でもこのキャラクターデザインを受け付けない人も多そうだ。
・OPがポップだった。あえて現代的な音楽にしたのでしょうね。でも源氏物語に合うかというと微妙な気がしないでもない。EDは中孝介。この人の歌って初めてじっくり聞いたかも。
・藤壺はあれで14歳か!色気あるねー。
・BGMは雰囲気あって良いですね。笛の音かな?
・内裏にしては結構閑散としている印象を受けました。モブが少ないせいかも。それともあれを閑散ととるべきではなく、主役の周辺に集中的に焦点を合わせているから、と考えるべきか…。
・藤壺のために梅の枝を取ろうとして池に落ちる源氏、というエピソードはこのアニメオリジナルですよね。子供の恋慕の情をこういう行動によって表現しているんだな。ふむ。しかし、藤壺にキスする場面なんかは見ていて源氏マセガキだな…!と思っちゃいましたよー。
・そういえば今回フジテレビのノイタミナの枠のアニメを初めて見たんだった。ちょっと調べてみたら「のだめ」とかもやっていた放送枠だったそうな。まぁアニメ自体見たのも久しぶりで、だからなのかな、紫の上のナレーションの声に「ああアニメだなぁ…」としみじみ感じてしまいました。洋画の吹き替えに登場する少女の声とアニメの少女ってやっぱり違うんですね。ちなみに源氏の子供の頃の声は合っていたと思う。
・装束は結構濃い色なんですね。違和感を覚える。
・なんか上記でいろいろ書きましたが、終ったとき思わず「え、もう終わり!?まだ10分位しか経ってないよね?」と時計を確信してしまったくらい30分を短く感じたというのも事実でして、結構食い入るように見ていたのかも。とりあえず次回も見ようと思います。
集英社コバルト文庫、1983年1月15日初版発行
![]() | ざ・ちぇんじ!〈前編〉―新釈とりかえばや物語 (1983年) (集英社文庫―コバルトシリーズ) (1983/01) 氷室 冴子 商品詳細を見る |
氷室冴子強化特集第二弾は『ざ・ちぇんじ!』です。そういえばこの作品、私が小学生の時に初めて購入した氷室さんの本でした。何回も読み返しているせいか紙も黄ばんで傷んでます。
【あらすじ】
舞台は平安中期、主人公は権大納言家の14歳の姫君、綺羅。彼女には瓜二つで同い年の異母弟がいるのだが、姫君自身は勝気で活発的、対して弟の若君は女として育てられたためなよやかだった。父親は男らしい娘と女らしい息子を見て双方の性別を「とりかえたい!」と嘆く日々を送っており、事情をよく知らない周囲の人々は姉を若君だと勘違いし弟を姫君だと勘違いしている。ところが、ひょんなことから姉君は男として元服をし更に出仕までせざるを得なくなり、同時に弟君も女として裳着を行うことになるにつれ、二人は呑気に暮らしていられなくなってしまう…!?
あらすじでも明らかなように、『ざ・ちぇんじ!』は古典文学のとりかえばや物語を少女小説風に(ここ重要!)書いた作品です。単に現代語訳したのではなく、現代の若い女性に受け入れられやすくするためによりロマンティックに、ユーモアたっぷりなコメディ調に、また辻褄が合うように合理的というか現代的に展開が一部変更されているらしい。
私は原典のとりかへばや物語を読んだことがないので細かくどの部分が変更されているとは指摘できないのですが、原典自体、あの時代に異性装などのジェンダーの反転を描き出しているのはとても興味深いですしいつか読んでみたいです。
さて、この『ざ・ちぇんじ!』をよく表している一文をあげろと言われれば
を私なら推すだろうなぁ。周囲が女だと思っている人物が男だったり、逆に男だと思っていた人物が女だったり、てっきり田舎貴族だと思っていた男が実は○○だったり、世を儚む奥ゆかしい女だと思っていた人物が実は〜だったり、と登場人物達の勘違いが幾重にも重なって物語は進んでいって、なんと18歳になると女性主人公が男性として女性と結婚したり、弟君が女性として後宮に出仕することになり……とまで事態は複雑化していくのですよね。世の中とは、つくづく誤解で成り立つものである。
えええええええなんて無謀な!と言いたくなる登場人物達の試みに、読者は一喜一憂ドキドキハラハラです。このハラハラ感が快い。成人した今読んでみても、人を惹き付ける勢いのある少女小説だと思います。
それにしても、そんな風に勘違いと誤解が蔓延っていても物語世界で不思議と世が回っていくのは面白いなぁ。まぁ、この作品ほど極端でないとしても、当人の内実とはズレた評価が一人歩きしていくことは現実の世界でもよくあることと言えるかもしれませんが。
次に作品の要とも言える異性装について。元ネタのとりかへばや物語ではどうなっているのか知らないのですが、『ざちぇんじ!』の場合異性装へのスタンスは姉と弟で結構異なっています。
まず弟君の方は生まれたときから女として育てられていて、女装はあくまでも「母に強制され」たものであり、「心の底では、いつか男に戻りたいと願ってい」ます。
世間のことも気になる年頃で、いい年をした男が女装をさせられ、姫と呼ばれることに耐えられず、今では父君が会いに来ても顔を合わせるのが辛く、几帳の陰にうずくまって、はい、とかええ、としか言わない。父君がそれを、どこまでも女っぽい子だと情けなく思っているのがひしひしと感じられて、いっそう身の置きどころがない。そんなことから、人と会うことに臆病になり、対人恐怖症にも陥っている。
〜いつ、この情けない女装姿を来客に垣間見られないとも限らないという恐怖で、気が遠くなり、がたがたと震えがきて、失神状態になってしまうのだ。
こういった描写からは、男が女の格好をしているのはみっともないという規範が彼の中で強く内面化されているのがわかります。同時にそのような規範に照らして自分の女装姿を自己嫌悪しているんですよね。挙句の果てに対人恐怖症とは、マジで気の毒。〜、母親一行が帰ってきたのかもしれないと思っただけで、[中略]胸が苦しくなって貧血を起こすようでは、男として、あまりに不甲斐ない、と若君は情けなく思っている。
14歳の彼にとって女装というのは紛れもない抑圧なんだろうなぁ。ただ、単に十二単を着るのが嫌だとか「姫」として扱われることが嫌だというよりも、男でありながら女装をしていることを他者に目撃されて嫌悪されることが嫌なのでは、という印象がある。他人の目をとても気にしていますし、自分が男であると知る前は「美しい着物を着て女房たちに姫、姫とかしずかれ、大切にされて、それが普通だと思ってい」たのですから。つまり、立派な男は女の装いはしないという規範とともに男としてのアイデンティティを得るにつれて、それまでは違和感を感じていなかった当たり前の装いが「異常」なのだと知り、それゆえに白い目で見られることを恐れている。
彼が女装することによって生じる抑圧を回避するためには、女装を止めて「正常」とされる男装をする道と、男が女装してても白い目で見られない世の中にする道があり、『ざ・ちぇんじ!』では原典を踏襲して前者の道を志向するストーリーとなっているようです。ちなみに最近クィアという言葉をよく目にしますが、クィアな新釈とりかへばや物語を描こうとするならば、後者の道を模索するお話として書かれたりするんだろうか。
弟君とは違って、姉君の方は「自分の好みと自由意志で男のなりをしている」天真爛漫な人。「女物の服を嫌がり、少年の服を着ている」のも自分の意志、自由を満喫する現状に満足しています。さらに遊び仲間の男友達が次々と元服して出仕しているのを羨ましく思い、自分も元服したい!と願っており、もし自分に妻がいたらという発想もナチュラルにしている。一方で、自分より強い男なら結婚を考えると言ってもいる。このキャラクターのセクシュアリティとか性自認って謎な気がするなぁ。「体は女の子だけど心は男の子です」と冗談めかして言っているけど、この台詞ほど単純じゃないのでは?と思う。
ところで原典も読んだ上で、ジェンダー論とかゲイスタディースとかクィア理論などにも造詣の深い人に『ざ・tyんじ!』を読解して教えてもらいたいなぁと今回しみじみ思いました。いや、そういう論文なり書籍なりはもうありそうだ。ぜひそういった観点から見る『ざ・ちぇんじ!』というものを読んでみたいので探してみよう。
さて、次は細かい部分への感想です。箇条書きします。
・北嵯峨の乙女を助けた男の正体は予想外でした。私は綺羅の元服のシーンで、てっきり男前のあの人かと思い込んでましたよ!こういう予想外の展開は読んでいてワクワクさせられます。
・帝は可愛げのあるキャラクターだなぁ。嫉妬深いし根暗だしちょっとヘタレっぽいところがいい。綺羅姫への夢見がちな妄想や、帝が綺羅への恋心のため綺羅をいびるシーンは笑えました。それと、自分の治世の宮廷に才気ある臣下や美しい妃がいないと言われてグサリときて、つい「私に徳がないからだろう」と嫌味を言う場面には、なんだか君主としての苦労が覗えて興味深かったです。
・「冗談はよしのすけ」やら女性キャラクターに頻出する「んまあ!」「んもう!」という台詞、「女の浅知恵」という言葉で女主人公の状況把握の稚拙さを表現している点などにはなんとなく古さを感じないでもない。まぁ実際のところ第一刷が1983年で私が生まれる前に発行された作品だしなぁ。ただ、それ以外の点であまり古さを感じなかった理由の一つとしては、やはり上質のエンターテイメントである上に、平安時代という一種のファンタジー世界を舞台にしていたからかなと思います。
・良い中年親父キャラが2人登場しています。それは綺羅の父とその弟の右大臣。綺羅の父は柔らかい関西弁(京都弁?)の台詞回しが好きでした。この人もヘタレが入ったキャラだと思う。右大臣は婿ゲット作戦への熱意が凄まじい!怖いよ!どちらも味のある愛すべきキャラクターだと思います。
・それからやっぱり最後に強調しておきたいのは主人公綺羅の魅力です。“明朗”という言葉がぴったりで、現実にいたら友達になりたいタイプの人です。
後編に続きます。
11/23 16:19にコメントくださった方
ありがとうございました。おおぉ〜古典の訳をやってらっしゃるのですか、いいですね。好きな作品を自分自身で訳すというのは、やはり他の方が訳したものを読むのとは違ったレベルで、より深く古典と向き合うことが出来るのでしょうね。楽しそうです。知識があればぜひやってみたいなぁ。
現代と古典の中の感覚の違いが難しいとのお話、なるほどと思うと同時に「感覚の違い。それこそが古典を読む最大の楽しみのうちの一つだ!」と主張していた大学時代のゼミの古典文学の教授を思い出しました。この教授は源氏物語を研究している方だったのですが、「現代では当たり前のことが古典の中では当たり前では無い。現代には無い選択肢が古典文学の中にはある。ならば現代で行き詰っている問題が古典文学に描かれていることを鍵として解決できるかもしれない」と熱心に学生に教えてくれた方でした。それだけに古典を読み解くのは難しいのでしょうね。
私も古典の解釈や他の方の感想を読むのはとても好きです。同じ本でも人によって読み方や注目する点が異なっていて面白いですよね。
コメント、本当にありがとうございました!
拍手を下さった方
ありがとうございました!励まされます。
これからも、このブログでは自分の好きなものへの愛をいろいろと語っていこうと思います。
2008年12月1日追記
すみません。次の更新は12月10日以降になりそうです。



